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私にとっての患者会

私は患者会を立ち上げ実感したことがある。人間一人が思っていることは、そこには声に は出さないが何人かの同じ思いを持っている人のいることを。


私は脊髄小脳変性症と診断されてから、飢えていた。 同じ病気の人と話してみたい、病気について喋ってみたい。だが、まわりに脊髄小脳変性 症や多系統萎縮症の知り合いはいなかった。

そこで県内に患者会がないか探した。宮城県内にもないか探してみた。東北では青森県に しか患者会が存在しなかった。 潜在的には、患者会ができれば入会したい人はいるはずである。私が患者会を望んでい るとすれば、他にも患者会を必要としている人がいるはずだと思った。私一人しか患者会 をのぞんでいるなんてことはない。 そこで、私は患者会を作りたいと思ったわけであるが、何しろ初めてのことでもある。 どうやって設立すればよいかわからないし、どうやって会員を集めればよいのかもわから ない。どうにか、手探りでここまできたという実感がある。


これからの患者会も今までと同じく、患者同士の交流の場でありたい。生活のための知 恵の情報交換の場でありたい。同じ経験を話せる仲間でありたい。 そして何より、治療法のない難病に立ち向かう同志でありたい。 我々は医学者でないので希望は与えられない。だが、集まって話をすれば、少しぐらい は心が軽くなり、暗いトンネルの向こうにかすかな光のようなのもが見えるのではあるまいか。

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